糸井 |
3月11日、地震があったとき、
吉本さんは。
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吉本 |
この部屋で横になっていましたが、
物がないので大丈夫でした。
ご近所はわりに閑散としてて
何かが起こったようなようすはなかったです。
ぼくは足腰の動きが不自由だから、
それからずっとテレビを聞いてました。
最初は「馬鹿に大袈裟なこと言うなぁ」という
印象を受けたんですよ。
そしたら、それは大袈裟どころじゃなくて、
すごく抑制された言い方だったわけです。
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糸井 |
そうですね。
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吉本 |
東北地方は、主たる産業及び
船も含めた交通、
これがまず、壊滅に近いことになった。
放射能もゆるがせにはできないですね。
これは復興を遅らせる精神的な問題に
つながっていくだろうと思います。
いま、日本の経済全体が
消費産業に移りつつある過渡期で、
東北は、たぶん役割としては
日本国の3分の1ぐらいの役割を
してると思います。
産業というものは
「食うこと」に関係がありますから、
懸命に復興を進めていくと思います。
もしかしたら
早く立ち直っていくかもしれない。
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糸井 |
ええ。
被災地は、とても広いです。
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吉本 |
そうなんですよね。
ぼくはべつに現場にいるわけじゃない、
物書きで、現場を離れて
観察している人間だから
遠慮がちに言わなきゃいけないけど、
おそらく、復興期における
精神的な混乱が先立って、
それが産業的な混乱となり、
復興にひびいていくのではないかと
思っています。
ここで、正確に状況を把握して
正確に対応できるようなことを
考えられればいいだろうけど、
たぶん、最初はそんなの放っぽり出して、
産業的な活動の整備、それから食べること、
つまり生活の日常の問題の混乱を
優先させていくでしょう。
そのほうがいいのかもしれません。
だけど、あまり現実離れした
抑制したことばかり言うのではなく、
壊滅状態からどうやって復活するか、
そこのところをもっと
やったほうがいいんじゃないでしょうか。
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糸井 |
そういった流れの中で
お互いに監視しあったり、
精神的に不安定になって、
つっつき合うようなことにも
なっていますね。
結局、自分の不安を解消するために
言論を使う人が
ものすごく増えてきています。
「あれ? こんなスピードで来るんだ」と
びっくりしたんですよ。
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吉本 |
そうなんです。
ちっとも進歩してないんです。
ちょっと昔の話になりますが、
ロシア革命のときに
ロシアが経験した混乱というものがあります。
レーニン派とスターリン派の分裂から
ロシア革命の解体がはじまったんですが──
レーニンという人は、
とてもはっきりした人でした。
革命をこういう方針で遂行していく、
そしてそれがある程度完成したら
党を解体するんだ、と言っていました。
革命で起こった災害に対しては、
必要な事務管理、実務関係の人を残して
あとは平静に戻しちゃう、
というやり方でした。
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糸井 |
はい。とにかく
早々に解散する、と。
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吉本 |
個々の地域問題や生活様式の違いからくる
意見の違いを調整していくことは
そのあとのことである、ということも
明言していました。
事務系の人だけ残せば
それぞれの地域の人が、
小さなグループで相談し協力しながら
続けていくだろう、
ということをわかっていたわけです。
そうやってレーニンは引退して
スターリンに実務的な地位を譲りました。
それで、心臓が弱い人だったから、
自らを養っていたんです。
奥さんが看病していました。
レーニンの奥さんには、しかし、
党の役職がちゃんとあった。
役職をないがしろにして、
自分の旦那さんの病気の世話ばかり
焼いてるということで、
スターリンに文句つけられたんですよ。
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糸井 |
ああ。
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吉本 |
レーニンはカンカンに怒って、
そこでもってロシア革命っていうのは、
壊れていっちゃうわけです。
どっちの言い分が通りやすいかというと、
スターリンの言い分のほうが
通りやすいんですよ。
つまり、「私(わたくし)」の問題は
二の次にして、
共産党や国家のために働くということは
第一義的なものです、
というほうが、通りがいいんですよ。
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糸井 |
よくわかります。
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吉本 |
いま、日本でもそうですよね。
それは戦争中も、
さんざんやったことです。
命を捨ててがんばれ、みたいな、
そんなことでやらされたという
体験がある人から見りゃ、
バカなこと言うな、
ということになっちゃうんだけど、
そういうのが、いつだって通りはいいんです。
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糸井 |
はい。
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吉本 |
ぼくらは戦争中、
そういう軍部に反対しきれなかった。
ぶつぶつは言うんですよ、
部分的には文句を言う。
でも、全体的には、完全に軍国主義の、
公のためになることを
することになりました。
私的なことを捨て、
公に奉仕すべきだという、
それを結局やられちゃった、
ぼくらの戦後のいちばんの後悔は
それです。
そういうのはだめなんだってことについて、
もう一歩がんばるには、
ちょっとぼくら、幼稚だったです。
幼稚だったなぁとはつまり、
あとから振り返って
そう思ってるわけなんですけどね。
よほどしっかりしてないと、
それをやられます。
公のことが大事であって、
おまえの家の旦那が病気で弱ってるとか、
怪我してるのを看病したりするのは
けしからん、と。
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糸井 |
そこから突つかれていくわけですよね。
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吉本 |
ええ。これはずっと一貫して
わかりきっているところなんですよ。
ここに病人がいたら、一所懸命
面倒みてやろうというほうが
重要なんだということ、
そして、レーニンにとっては
それが革命なんだということを、
わかっていたんです。
ですから、レーニンは
公のほうが大切だと言われても
動揺なんかしないんですよ。
レーニンの奥さんは
旦那の介護をやめなかったし、
レーニンもその考えを
一度も捨てなかったです。
そうやって、結局
レーニンは負けていくことになりました。
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糸井 |
ものすごく大きな、
真ん中の、分かれる場所ですね。
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吉本 |
そこで、決まってますよ。
今度のことは、
なんかわけのわからんっていうか、
つまらねぇ論争のつまらねぇ足の取り合い
というようなところがある。
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糸井 |
なんだか得点入れあってるような
おかしな遊びがはじまったり。
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吉本 |
要するに、簡単に言えば、
個人個人が自分が当面してる、
いちばん大切なことを、
いちばん大切として生きなさい、
という、それだけのことですよ。
公にどんなことがあろうと、なんだろうと、
自分にとっていちばん大切だと
思えることをやる、それだけです。
しかしそれは、人間に対する、
透徹した信念を
持ってないとダメなんだけど‥‥
ぼくはダメなやつだったわけですけど、
しかしそこからは徹底して、
これまできたんです。
人間性に反することが
自由平等とどこが関係あるか、というところに
論議がいけばいいわけなんだけど、
そうはいかない。
個人的な病人を抱えて
看護をするなんてことは、
言ってみれば、不要な、
小さなことなんだっていう考えになって
──話を小さくつづめて言えば、
結局は、ロシア革命も、戦中の日本も、
そこで、もうダメになっちゃったと
いうことだと思いますね。
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糸井 |
同じようなことだと
ぼくは思っているのですが、
戦国の死体が
累々としてるような時代に
親鸞というお坊さんが出てきましたね。
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吉本 |
ええ、ええ。
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糸井 |
それも、やっぱり似たような状況で、
いま目の前にある不幸と
宗教家として向かい合わなければならないときに
何を考え何を言うかは、
ものすごく難しかったと思うんです。
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吉本 |
そうだと思います。
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糸井 |
弟子の唯円が
「わたしは浄土に行きたいと
思わないんだけど」
と問うたら、親鸞は
「俺もそうだよ」
と言ったという話があります。
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吉本 |
ええ、まったくそうです。
そんなとこには行きたくない、
ここにとどまりたいというのが
ほんとうでしょう。
そこで、親鸞は
もっともらしいことは言わなかったわけです。
それは、難しいって言えば、
とても難しいことです。
ですから、いま、考えて
自分にも役立つだろうし、
自分の近辺の人にも役立つだろうし、
ということをやればいい。
それは完成に近いところまで行けば、
国が変わるところまでつながっていくわけですが、
そこまでは人間はなかなか悟れないというか、
見解を持っていけないから、
だから、中途半端で。
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糸井 |
はい。
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吉本 |
俺のほうがいい政治家だとかなんだとか
ってことで、
ケンカして、もう1年半も経ってますけど、
何もしてない、
何も結論出てない、ということになる。
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糸井 |
しかし、そういう意味では、
とても悲しいけれども、
ひとりずつが何を考えてるのかを、
確かめる機会にはなりました。
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吉本 |
そうなんですね。
そうだと思いますね。
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糸井 |
ぼくはまず、
「自分のリーダーは自分だから」
と思うことにしました。
ですから、何をするにも
判断というものは
全部尊いんですよ。
ここから逃げるにせよ、
卑怯なことをするにせよ、
それを決めたリーダーはおまえだから、
誰のせいでもない。
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吉本 |
そういう考え方は、
間違っていたら、ちゃんと、
人間本来の原理が
黙っているうちに、
直してくれますよね。
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糸井 |
ああ、そうかそうか。
そうですね。
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吉本 |
ひとりでに直してくれます。
自分が当面するいちばん切実な問題を
それぞれで片付けていく途中、
不幸な人とか、
困った人とか、
そういう人にぶつかったとしたら‥‥
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糸井 |
そこで「切実」が変わるわけですよね。
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吉本 |
そのとおりです。今度はそこに
力を貸してやるとか、
そういうことが出てくるわけです。
そういうことが重なっていくと、
国を変えるとかいうことに繋がるから。
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糸井 |
それは、そこまで
来てるような気がするんですよねぇ。
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吉本 |
難しいんですよ。
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糸井 |
難しいですよね。
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吉本 |
だから、
おれなんか、しまったしまった(笑)。
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糸井 |
吉本さんも、鶴見俊輔さんも、
戦争のときに経験されたことから何十年、
ずっと考えてらっしゃるわけですから。
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吉本 |
そうなんです。
考えてるんです。
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糸井 |
昔に比べると、
味方がどのくらいどういうふうにいるか、
敵がどういうふうにいるかということが
見えやすくなってきているとは思います。
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吉本 |
糸井さんなんかは目立つ人だから、
混乱期とかそういうのになったら、
複雑な問題を
扱わなくちゃいけなくなってしまう。
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糸井 |
矛盾は全部、かかってきます。
ただ、いままでこうして
吉本さんのところに通って
お話を伺ってきたことの
応用問題だとぼくは思います。
薄氷を踏むような思いですけど、
怖がりながらも進んでいこうと思っています。
政治じゃない形で
「政治」ができるということもわかって、
おどおどしなくてすみます。
市民がやれることって
けっこうたくさんありますから。
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吉本 |
そうだと思いますね。
それは、重要なことだと思います。
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糸井 |
いままで、
「自分がどういう人になりたいか?」
というものの答え方って、
いろんなふうにあったけど、
観念的だった気がします。
「大きい人になりたい」
「強い人になりたい」
「やさしい人になりたい」
だけど、この震災で、
消防士さんや地元のお坊さん、
被災したおばあさん、
そういったふつうの人たちの発言が
メディアに出てくることになりました。
「ああいう人になりたい」と思う人、
いっぱいいると思うんですよ。
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吉本 |
そうでしょうね。
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糸井 |
やっと生身の人間が
憧れられる存在になったかもしれない。
これは悪いことばっかりじゃないぞ
と思います。
立派な人って、まずいないわけです。
これはテレビで見たんですが、
被災地の避難場所にいて、
孫にあげるための入学祝いが
波に流されちゃったおばあさんが、
孫に向かって
「ごめんね」「必ず買ってあげるからね」
って言ってました。
その気持ちというのは、
いわゆる「すごい人」には
言えないことでしょう。
あれを見本にできるということを
みんなが思えるようになったというのは、
すごい財産だと思うんです。
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吉本 |
ああ、そうですよね。
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糸井 |
その直前まで起きていたことといえば、
大学入試のカンニングでした。
だけど、あのおばあさんの発言が
世の中に通じるようになったというだけで、
すばらしいと思いました。
きっと戦時中も
こんな話、あったんでしょう。
やなこともいっぱいあったし、
いいこともいっぱいあったんでしょう、きっと。
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吉本 |
そうだと思います。
いたる所で、そうだったと思います。
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